老舗菓子メーカー「ブルボン」。ルマンド、エリーゼ、プチシリーズなどのヒット商品の名は誰もが知っているだろう。一方で、社名の知名度と違い、本社が新潟県柏崎市にあること、同市と深い関わりがあることを知る人は少ないはずだ。
JR信越本線柏崎駅に行くと、駅前に建つ高さ59メートルの高層ビルの存在感に圧倒される。ブルボン本社ビルだ。まさに柏崎の象徴的存在であり、市内で最も高い建物でもある。
柏崎と言えば、現在稼働停止中の柏崎刈羽原発がある。原発の街のイメージを持つ柏崎とブルボンにはどのような関係があるのか。ブルボンに焦点を当てて、柏崎との関係を追った。
■関東大震災をきっかけに創業、今年で100周年
「ブルボン」の名を知らない人はほぼいないだろう。
1970年代に発売されたルマンドをはじめ、エリーゼ、アルフォートなどのビスケット・クッキーでロングセラー商品を多数持つ。洋菓子に加え、煎餅などの和菓子シリーズ「プチ」もヒット商品だ。
日本のお茶の間洋菓子メーカーの雄であるブルボンの業績を見てみよう。直近の2023年3月期で売上高は約1000億円、営業利益は約17億円、従業員数は4000人強を誇る。
ブルボンの前身である北日本製菓商会は、1924年に新潟県柏崎市で創業した。柏崎で和菓子店「最上屋」を経営していた吉田吉造が、関東大震災による被災で菓子の供給が止まったのを見かねて、地元に菓子の量産工場を設立したことがきっかけと言われている。
その後、1960年代から1970年代にかけて、新製品の開発と機械設備の自社開発に力を入れてきた。同社は次々と新商品の開発と生産を進め、全国に知られる企業にまで飛躍的に成長した。社名をブルボンにしたのは、1989年のことだ。
ブルボンは、地元柏崎への菓子供給を目的として創業したことに始まり、以来ずっと、本社と工場を柏崎に構えて企業活動を継続している。柏崎との関係は極めて密接であることが窺える。加えて、ブルボンが地元に密着した企業であることの背景を示すのが、同族株主の存在とその財務運営だろう。
ブルボンは、創業家の吉田家一族とその関係会社が25%から15%程度の株を所有する。経営者も創業家が世襲し、いわゆる同族経営がなされてきた。同族株主の持株会社は、柏崎に所在している企業がほとんどである。
さらに、無借金経営というブルボン独自の財務運営も、地元への密着度を高めたと言えるだろう。ブルボンは、1990年代前半まで資金調達を借入に頼らず増資により行ってきた。
つまり、生産量を飛躍的に伸ばして以降も、出来る限り大規模な設備投資をおこなわず、子会社に外注することで、財務の健全性を重視してきたのである。その結果、地元との関連性が強まった。
■工業都市として栄えた柏崎市の難点は?
新潟県柏崎市は、石油が湧出したことから、早くから工業都市として栄えた。明治時代には日本石油を始め、製油会社や関連企業が設立された。
石油の副産物として天然ガスも産出したため、昭和初期には理化学研究所(現、株式会社リケン)が進出し、自動車ピストンリングの製造工場が設置され、鉄工業も発達した。現在も、石油関連企業やリケンの工場は柏崎で活動している。
1980年代からは、ソフトウェア企業や技術者養成学校を誘致し、2000年代半ばからは、産業団地「柏崎フロンティアパーク」を整備するなど、工業都市としての顔は健在だ。また、1997年には、当時総出力世界一の柏崎刈羽原発が完成、エネルギー産業の集積も進んだ。
このように、柏崎は、明治時代から工業都市として栄えた歴史があり、ハード、ソフト両面において、企業が立地するには有利な基盤が整っていると言える。
しかし、柏崎にも難点がある。同市は新潟県の中央部に立地しており、首都圏からのアクセスが良いとは言えない。たとえば、東京駅からは長岡駅経由で約2時間半、自動車では北陸・関越自動車道で約3時間かかる。大企業の本社を継続的に設置するとなると、利益追求の観点からは不都合もあったのだろう。
創業当時から常に柏崎に本社を構え、なおかつ成長してきた大企業は、ブルボンを措いて他にはない。柏崎はブルボンと共に発展してきたと言える。
■公益財団を設け、地域に還元
柏崎に本社を構え、全国的な知名度を誇る菓子メーカーとして発展したブルボンは、地元重視の姿勢を強めてきた。その1つが、地元への貢献だ。
2013年、同社はブルボン吉田記念財団を公益財団へと移行した。ブルボン吉田記念財団は吉田奨学財団として地元人材の育成のための奨学事業を行ってきた。公益財団への移行に伴って、奨学事業のみならず、文化、芸術、体育の助成・協賛事業まで幅広く手掛けられるようになったわけだ。
公益財団が手掛ける事業の1つが、「ドナルド・キーン・センター柏崎」の開設、運営だ。同センターは、文芸評論家のドナルド・キーン氏にちなんだ純文学の資料館である。
しかし、純文学人気が低迷している現在、資料館の運営は厳しい。財団の公開している2022年度の運営実績によれば、入館料収入は年間たった52万円、物販収入が43万円だ。
公益財団はブルボン本体からの配当収入で運営されているようだが、公益法人ともなれば資金管理が制限される。社会貢献の意志がなければ、とても運営はできない。
なおかつ、財団によれば、今後10年は「ドナルド・キーン・センター柏崎」は、地域連携事業に注力するという。すでに2023年度から、地元の中学校と連携し、中学校におけるパネル展示プロジェクトに着手している。
また、ブルボンは柏崎を本拠として活動する水球クラブチーム「ブルボンウォーターポロクラブ柏崎」を支援している。同クラブは、日本水球界では有名なクラブであり、日本代表選手を世界大会に送り出している。
■柏崎市は、ブルボンの「企業城下町」なのか
2015年には、柏崎駅前に約30億円をかけて本社ビルを建設した。ブルボンの本社ビルは、地方都市にありがちな、空き店舗の目立つひなびた雰囲気の柏崎では際立つ。まるで街のシンボルタワーのようだ。
報道によれば、ブルボンの吉田康社長は「地方である新潟県の、さらに地方である柏崎で国際的な企業を目指す。それで人が集まり、定着する。そういう経営をしていきたい」と、改めて柏崎と共に活動していく決意を述べている。
元々、ブルボンは関東大震災をきっかけに創業した。そのため、災害のような緊急時に地元の役に立つ企業になるという創業以来の精神が根底にあるという。
2022年には、地域エネルギー会社「柏崎あい・あーるエナジー株式会社」の設立に加わっている。同社は、再生可能エネルギーおよび脱炭素エネルギーの地産地消を当面の目標として設立された。
風力発電、太陽光発電、小水力発電などを集めて蓄電池等で安定化し、首都圏への電力供給を目指すという。実現すれば、柏崎の工業の根底を支えてきたエネルギー産業の歴史を塗り替える新たな基幹事業となるだろう。
この地域エネルギー会社の設立は、市が推進する施策である「柏崎市地域エネルギービジョン」に沿ったものだ。名実ともに市の命運がかかった会社といえる。
都市研究の分野では、企業城下町という概念がある。いわく、特定の大企業の量産工場を中心あるいは頂点に、多くの中小企業が生産上、縦のつながりでものづくりを行っている町をそう呼ぶ。有名な企業城下町に、愛知県豊田市がある。
ここまで見てきたように、柏崎は元々石油産業や製造業などの工業が発達していた都市であり、ブルボンを中心として発達した都市ではない。
しかし、これからも柏崎と共に活動していく決意表明をし、柏崎の命運を握るエネルギー産業に参画したブルボンと柏崎は、もはや運命共同体である。柏崎がブルボンの企業城下町となる日も近いのではないだろうか。
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