介護保険制度の施行から23年。度重なる改悪により、制度の問題点が露呈し、そのしわ寄せは介護現場に向いている。このような介護保険制度の決定的な問題を上野千鶴子と高口光子(正しくははしご高)が挙げる。本稿は上野千鶴子・高口光子著『「おひとりさまの老後」が危ない! 介護の転換期に立ち向かう』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
● 政策決定者の人間への見方が 介護保険にはあらわれている
上野 介護保険改悪で、在宅も施設も同じように危機に来ています。施行から23年が経過して、このあとどうなるかということを一緒に考えていきましょうよ。
高口 はい。制度の背景には、それを作った人、または当時の時代の人間に対する見方、考え方があります。
私たちが、学者と呼ばれる人たちから教えてもらいたいのは、この制度を発想した人、作った人のその向こうにはどういう考え方があったのかってことです。生産性とか、経済優先とか、それはどういう人間観に由来するのか、もっとわかりやすく教えてほしい。それが、お年寄りが不納得を納得に変えてでも施設に来ることと共通している価値観かもしれないんですよね。
上野 本当にそのとおり。
高口 現場の私たち介護職だからこそ訴えられるものがあるんじゃないかと思うけど、それが何なのかよくわからないんですよ。現場の私たちが社会的に発言して、それが充実したケアにつながるとは思えないまま、今日まで来ました。私は介護を仕事としてきた者として、誰に何をどう言ったらいいのかを上野さんから教えてもらいたい。
上野 あなたが言った「政策決定者たちの人間に対する見方、考え方」が決定的だと思う。政策決定者たちに大きな影響力を持つ圧力団体は経営者団体とか医師会とかいっぱいあるのに、介護に関しては介護職の団体も利用者の団体もなきにひとしい。
私は23年間、介護の現場を研究してきて、はっきりわかったことがある。それは、年寄りはこの程度でいいんだと、したがって年寄りのお世話をする介護職の処遇もこの程度でいいんだと政策決定者が考えているということです。
高口 なるほど。監視カメラの問題もまったく同じですね。障害者や高齢者は、一方的にカメラで見られてもいい存在なんだっていう価値観。私は、これは真っ当な人間観と思えない。
私がやっている介護塾という講座で強調しているのは、介護職が認知症がある人を何もわからなくなってしまった存在と決めつけることなく、「思いも考えも意思もある人」として出会うということです。
意思のある人に出会うためには、私たちこそ「こういう介護をしたい」「介護ってこういうものだ」という自分にとっての介護とか、「理想の介護をしたい」という意思を持たないと、意思ある人としての利用者に出会うことができない。つまり、介護にならないんだということを伝えています。
● 使い捨ての労働力だから 介護や保育業界が政治力を持てない
上野 政策決定者たちの間に、自分たちもいずれ介護される側になるという想像力がないんですね。一つは、年寄りや子ども、障害者の処遇はこの程度でいいんだっていう考え方。良心的な施設であればあるほど配置基準に上乗せする人件費が経営を圧迫し、そうなると、受け取るパイが同じだから一人あたりの分配が減る。
配置基準を上げろという政治力を介護業界も保育業界も持たないのはなぜかというと、はっきり言って使い捨ての労働力だから。その理由は、介護職も保育士も、人のお世話をする仕事は女向きの仕事だと思われてきたからです。
高口 持続可能な介護状況を作るためには、省力化、安全管理。その具体的なやり方として、ICTの導入が必要だというのが今の国の方針ですよね。経営側は、人手不足に対応し、事故を含めて社会的な制裁を受けないようにして、なんとか労働争議を起こさないようにしようとしている。そして、現場ではできるだけ作業効率を上げようとか、事故・苦情を出さないようにしようとしている。
もちろん、これは悪いことではありません。ICTというのは、そもそも最新機器を使って人と人とのつながりを深めようというものなんだから。悪いことじゃないのにある特養(特別養護老人ホーム)の現場はどんどん悪くなっていったんですよ。これはどう考えればいいんでしょう?
● 低い報酬設定や無理がある配置基準 条件設定がひどい介護保険
上野 好循環ならいいけども、それがネガティブな循環になっているということね。
まず、制度設計の初期条件の設定自体が低すぎたと思う。在宅系では訪問介護の報酬設定が低すぎた。しかも生活援助(初期は家事援助)と身体介護の2本立てにして、その間に大きな格差をつけました。
それだけでも足りなくて、1時間の訪問を、20分とか45分までに細分化してますます切り下げました。移動コストも待機コストもカウントしていない。政府はおそらく生活援助を介護保険から外したいと思っているでしょう。
ケアマネの報酬設定も低すぎます。だから独立性を保てなくて事業所所属を認めるという欠陥が、最初から制度に組み込まれていました。
施設に限って言っても、配置基準にもともと無理がある。介護保険の初期は施設志向が高まって法人が内部留保を蓄えたせいで、施設の報酬が切り下げられたけれど、利益を上げたのだって措置時代と変わらない集団処遇をしていたせい。
ユニットケアが出てきてようやく、お年寄りの尊厳を守る個室が標準になるかと思ったら、あっというまにホテルコストの徴収を始めました。ユニットケアになって建築による制約が多くなったのに人手は増えない。そのうち定員すら10人から15人に増えていた。こんなのユニットケアじゃないですよ。
いつのまにか多床室もOKに戻って、それすら居住費を徴収しようとしています。介護事業の最大のコストは人件費です。人件費を抑えるには常勤職員を減らしてパートや非常勤を入れるしかない。
それも離職率が高くて定着しないから派遣で穴埋めしてコストがもっとかかる。ICTで省力化っていうけど、現場の業務を減らすことを意図するのではなくて、はっきり言って省コスト化ですよ。
高口 省コスト化?
上野 うん、マンパワーとお金の両方ともコスト削減したいという意図です。でもそれ以前に、介護保険の初期の条件設定がひどすぎる。
高口 行政は、法定基準を作成し、実地運用を監督する、つまり最低限の基準を作って、指導するのが仕事なんでしょう。そこがあまりにお粗末じゃないの、ということ?
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